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時間のコントロール #150

みなさん こんにちは!
『Rockin’ Teacher 餃子大王 JUN’s club』へようこそ!
餃子大王・ベーシストのじゅんちゃんです(^^♪

4/12(火)にトップページ+ブログ3本の計4記事からスタートした僕のブログ。当初の目標#100を大きくクリアし、本日無事に節目の#150を迎えました。やったー!
でも、「切りの良い数字に意味があるのかな?」「そもそも数字って?」。ちょっと考え出すと全然違う方向へ発想が飛んでしまう僕。最後は「時間って大事やな」というところで落ち着きました。
ということで、今日のテーマは「時間のコントロール」。
一読に要する時間は約5分(僕計測)。よろしくお願いします(^^♪

今朝の空。台風11号が気がかりです(>_<)

教諭時代のこと

「切りの良い数字に何の意味があるの?」「何で切りのいい数字じゃないとあかんの?」。教諭時代、時々子どもたちにこんな問いかけをしていた僕。

答えはもちろん「Simple is best」。わかりやすいから。 多様な個性や特性を持っている子どもたちの中には「わかりやすさ」を必要としている子どもがいます。ですから、わざわざ「じゃあ今から休憩に入ります。午前10時37分12秒に3時間目を開始します」なんてわかりにくい指示を出す必要がない!「午前10時40分から始めます!長い方の針が8のところね♪」なんて、アナログ時計を指さして伝える方がずっとわかりやすいですよね。誰にでもわかりやすいUD(ユニバーサルデザイン)的な指示は情報共有の場では特に有効です。「やっぱり切りがいい数字はわかりやすいよね♪」が結論です。

一方、細かい数字が気になる子どももいます。数字に対する興味・関心が非常に強く、細かい計算ができる子どもに多く見られる傾向です。
「じゃあ、10分間休憩しま~す」「先生、ということは10時37分12秒まで休憩ですか?」なんて真顔で質問する子がいます。中には「先生、10時40分まで休憩やったら、10分じゃなくて12分48秒の休憩じゃないですか?」なんて高速で計算してくれる子も!これはこれで否定することはできません!
とてもまじめで、言葉の意味をまっすぐそのまま受け止める素直な子たち。かわいいでしょ(*^^)v

普遍単位の意義

多様な感じ方・受け止め方をする人がいることは決して悪いことではありません。多様な他者の存在こそがおもしろい!僕はそう思っています。昨日書いた「新曲の作り方#149」でもそんなことを感じていただけたかもしれません。だから、休憩時間のとらえ方一つとっても、いろんな感じ方があることをおもしろいと思っています。

そもそも僕は数学者ではありません。改めて「数とは何か?」と聞かれると困ってしまうと思います。僕にとっての数字は、ただただ「生活上とても便利なもの」であるだけです。

「少し休憩しましょう」の「少し」の解釈は人それぞれです。「また、今度ね」も同じで、何日後をさすのか曖昧です。明確な指示や具体的な約束を交わすには、「何分間」「何日後」などの数字がとても有効だなと思います。
このような考え方は、小学校の算数の時間に学ぶことができます。直接比較、任意単位による間接比較を学んだ子どもたちは、普遍単位を使った間接比較の良さに気づきます。普遍単位という共通の尺度を活用することで、日常の生活・コミュニケーションがスムーズになることを学ぶのです。

僕の性格

僕自身は数字、とりわけ時刻・時間にはとても神経質でした。「校内組織(会議)#52」で書いた通り。
授業も会議もスタート時刻は絶対厳守!「もう少しメンバーが揃うのを待ちましょう」は大嫌いでした!もちろん、授業も会議も勤務時間も延長は大嫌い!「チャイムは始まりのチャイム!」なのです。

特に仕事に関してはそうでしたが、プライベートでも遅れたり慌てたりするのが大嫌い!いつも時間と時刻を計算して「〇時〇分には出発しよう。そのためには…」なんて逆算ばかりしています。せっかちで、じっとしていられない性格。自分で言うのもなんですが、とてもしんどい生き方なのです。いつからだろう?こんなふうになったのは?学生時代はもっともっといい加減だったはずなのに…。

そんな性格の僕は、フリーランスになった今もなぜか時間に追われている気がします。どうせ大した予定なんか何もないし、やらないといけないことだってほとんどない!しかも、今はわけあって外出自粛中なのに…(^^;

曖昧さの良さ

明確でわかりやすいことは日常生活においてとても大切です。もともと「白か黒か」という性格の僕には、数字は味方でした。でも、人間理解のためには、時に曖昧さも必要でした。

教諭経験が長くなるにつれ、白黒はっきりするだけが教育ではないと思えるようになった僕。もちろん、同調とか迎合とかは嫌いなのでそういう意味ではありません。そうではなくて、不登校を始めとする学校生活になじめない子どもたちをどう理解するか…。そういうところです。
晩年の口癖は「まぁ、いっか」。少しずつ多様な子どもたちを受容できるようになったのかなと思います。

管理職になってからも誰に対してもおおらかに接するように心がけていました。人の感覚や価値観、生き方を否定しない接し方。子どもたち同様に、教職員や保護者に対しても理解者でいたいと考えていました。

最初に書いた休憩時間の話もそのひとつ。子どもたちには「剛柔併せ持つ」ことの大切さを伝えたかったのだと思います。きっちりすることも大切。でも、時には柔軟に対応することも大切。相手や時、場合によって適切な対応が自在にできるようになれば、多様な他者とうまく協働していくことができると思うのです。だから、あえて細かい話をしてみたり、いい加減で曖昧な話をしてみたり、それぞれの子どもたちのリアクションを学びに変えたりしていたのだろうと思います(^^♪

時間のコントロール

それでも、僕にとって時間はとても大切です。適当にゆったりのんびり…というライフスタイルはどうしてもうまくやれません。ただ、固定観念に縛られない自由で柔軟な感性が大切なように、時間を自分らしくコントロールしたいとは思います。時間を大切にするあまり時間に縛られたり支配されたりしていては元も子もないからです。

僕が大好きな児童文学「モモ」(ミヒャエル・エンデ作)。訳者である大島かおりさんは「訳者のあとがき」で次のように書かれています。
「けれど、これほど足りなくなってしまった「時間」とは、いったいなになのでしょうか?機械的にはかることのできる時間が問題なのではありますまい。そうではなくて、人間の心のうちの時間、人間が人間らしく生きることを可能にする時間、そういう時間がわたしたちからだんだんと失われてきたようなのです」

まさに、問題はこの点!今日は改めて時間にコントロールされていないかを確かめながら、時間をコントロールする術を身につける努力をしてみたいと思います。みなさんも素敵な時間をお過ごしくださいね!(^^)!

最後までお付き合いくださり、ありがとうございました!
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