みなさん こんにちは!
『Rockin’ Teacher 餃子大王 JUN’s club』へようこそ!
餃子大王・ベーシストのじゅんちゃんです(^^♪
今日のテーマは「帰省 人吉市へ」。
土日に行ってきた熊本県人吉市のことを書きました。
一読に要する時間は3分30秒(僕計測)。よろしくお願いします(^^♪
帰省の目的
急に決まった人吉市への帰省。目的は入院中の伯父(父の兄)のお見舞い。
実は、コロナ禍のため面会には厳しい制限が設けられていました。特に、僕たちはコロナ流行地域の大阪府民!病院の安全を守るために、大阪からの来院・面会は許可されていませんでした。
そんな中「面会許可が下りた」という報せが入ったのが先週初め。急遽帰省することが決定しました。
ただし、面会日は火・木・土・日の週4回で1日1回10分間・2人まで。しかも、患者の体調によっては許可が下りない場合も…。そんなわけで、今回は父だけが帰省する計画を立てました。
ただ、陸路は長旅、空路は不慣れ。頭も体も元気とは言え、高齢の父ひとりでの帰省は不安…ということで僕が同伴。老々介護のリハーサルとなりました。
飛行機・ホテル・レンタカーの手配はMちゃん。速攻で帰省準備を整えてくれました(*^^)v
熊本県人吉市
人吉市は熊本県の南端に位置し、宮崎・鹿児島県と隣接するスモールシティです。日本三急流・球磨川の川下りや川沿いの温泉施設、県内唯一の国宝「青井阿蘇神社」などが有名な観光地。「繊月酒造」を始めとする球磨焼酎づくりも盛んな人吉市は、古くから相良氏の城下町として発展してきた人吉球磨地方の経済・文化の中心地。川上哲治氏(元巨人軍)や轟悠(元タカラヅカ・僕の親戚)などを輩出した町でもあります。
そんな人吉市を襲った令和2年7月豪雨。球磨川・支流からの氾濫流は建物・橋梁を破壊し、尊い命と人々の生活を奪いました。線路・鉄橋を失ったJR肥薩線は、今も一部区間が不通のままです。
人吉市との縁
人吉市育ちの父。本家を始め親戚の多くが今も人吉市で暮らしています。また、母も人吉に住んでいた時期があったため、僕のいなかといえばまずは人吉。小学生時代は夏休みのほとんどを人吉市と母方の本家があった熊本市で過ごしていました。神社の境内で遊んだり、球磨川に泳ぎに行ったり、室内に飛び込んでくるカブト虫を捕まえたり、大阪市港区では味わえない体験を毎年のようにしていました。
高校3年生時、思うところがあり教職に進路変更するまでは、熊本大学に進学し、九州でのんびり過ごそうと考えていた僕。そのくらい熊本県は僕にとって特別なところでした。
人吉ツアー
旅の目的は伯父との面会。僕のことを従兄弟たちが嫉妬するほど可愛がってくれた伯父。僕たちが面会に来たことをとても喜んでくれました。病院の方々のご配慮のおかげで、2日連続の面会も許可!ホントにありがたかったです。
そして、もうひとつの目的、祖母の墓参もコンプリート!僕は実に15年ぶり。お参りできて良かったです。
もちろん、懐かしい人たちとの再会もたくさん!初日ランチは「喜多川」、夕食は「中村屋」。どちらも大きな被害を受けながら再建されたお店です。
2日目ランチは、従甥がシェフを務める「kura倉cafe」。もともと奥さんのご実家が経営されているお店です。英国式ガーデンが美しい丘の上のレストランでの美味しい料理。優雅なひと時だったなぁ。
「温泉露天風呂付客室」にアップグレードしてくださった「清流山水館あゆの里」で過ごした贅沢な時間。長時間、父の相手をしてくださった売店のスタッフさんにも感謝!素敵なたびになりました。
タイトな行程でしたが、父も元気に帰宅。早朝からルーティンのウォーキングに出かけていました。
僕も午後からウォーキングに行こう!少し増えたウェイトを落とさなくては(^^;
最後までお付き合いくださり、ありがとうございました!
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