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みなさん こんにちは!
『Rockin’ Teacher 餃子大王 JUN’s club』へようこそ!
餃子大王Bassistじゅんちゃんです♪
今日は「いただくorくださる」。
一読は約2分30秒(僕計測)。
よろしくお願いします(^^♪
目次
【1】年度末のあいさつ
【2】いただくorくださる
【3】心を届ける
年度末のあいさつ
小学校教員時代、校長や部長、委員長など「長」のつく仕事をよくしていた僕。
立場上、多くの方の前で挨拶をすることがよくありました。
「挨拶は苦手か?」と聞かれれば「得意」。
でも「好きか?」と聞かれると「嫌い」。
特に、形式的にプログラムされた挨拶は「嫌い」で「むしろ不要」だと考えていました。
たとえば「児童会主催行事における校長挨拶は必要か?」。
もちろん「絶対しない!」などと駄々をこねたりはしません(^^;
ただ、こういうことを時々立ち止まって考えてみることの大切さを主張していたわけです。
それでも、年度末になると挨拶の機会はさらに増加!
1年間の成果とともに感謝の気持ちを伝えるために、スピーチをしたり挨拶文を寄稿したりすることがよくありました。
いただくorくださる
そんな時にふと気になったのが、「いただく」と「くださる」の使い分け。
「本日はわざわざお越しいただき…」or「お越しくださり…」という感じです。
辞書的な解釈をするならば、「いただく」は自分視点の敬語なので「謙譲語」。
相手に「してもらった」ことを表す場合に、自分を低めることで相手の行為を高めるという構造です。
一方の「くださる」は相手視点の敬語なので「尊敬語」。
相手の行為そのものを高める言葉といえます。
そんなことを考えながら、挨拶をしていた僕。
ただ、未だによくわからないため、適切な使い分けはできていないというのが正直なところです。
心を届ける
「心は言葉を超える」。
時に、そう感じることがあります。
でも、「だったら言葉なんてどうでもいい」のかというと、それは少し違う気がします。
たとえ言語が違っても
語彙が不足していても
上手く話すことができなくても
心があれば通じ合うことができる
「心は言葉を超える」とはそういうこと。
決して言葉が不要なわけではありません。
「いただく」か「くださる」か。
「どちらが正解か」ではなく、相手を思いながら「どちらが適切か」を考える行為こそが重要!
「心を届ける」とはそういうことだと思うのです。
言葉は人類が創り上げた素晴らしいコミュニケーションツール。
言葉を上手に活用することで、誰もが気持ちよく毎日を過ごすことができるといいなと思います。
そう言えば、僕のマイブーム。
お店で商品を受け取る時に「おおきに・ありがとう」は当たり前。
最近は「いただきます」という言葉を付け足すようにしています。
もちろん、「売ってくださってありがとう。いただいて帰ります」という意味。
でも、状況によっては「そんな言葉聞いている暇なんかないわ!」とお店の方に叱られるかも?
ちゃんと「今、言うべきかどうか」を考えなければ心は届かないかもしれません(^^;
やっぱりコミュニケーションは難しい!
でも、人に心を届ける行為は楽しい!
そう思って今日もポジティブな気持ちでコミュニケーションを楽しみます(^^)/
最後までお付き合いくださり、ありがとうございました!
感想・コメントも大歓迎!
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