みなさん こんにちは!
『餃子大王』ベーシストじゅんちゃんのブログにようこそ!
今日のテーマは「二足のわらじ」。カテゴリーは音楽です。最後までお付き合いください(^^)/
1978年の秋、高校2年生の文化祭。僕は初めてバンドスタイルでステージに立ちました。あれからもう少しで44年。その間、3ヶ月だけバンド活動を休止しましたが、それ以外はずっと途切れることなくバンド活動を継続しています。

バーボンハウス
餃子大王の人気絶頂期。本当に大勢のお客さんが来てくださいました。僕たちのホームは大阪梅田のバーボンハウス。百又ビルの地下にありました。だいたい二部制(2ステージ)でやっていたように記憶していますが、時にはライブハウスに入りきれないほどのお客さんが押し寄せ、百又ビルは階段まで人であふれていました。インディーズだけどメジャー並みの勢い…。若さもあって一番好き勝手に暴れまくっていた頃かもしれません。
今は…。「すっかり大人になったのね」と言えるくらいには落ち着きました。

二足のわらじ その1
この頃は「二足のわらじをはいている」と言われていました。テレビやラジオ、新聞・雑誌でも取り上げていただきましたが、同時に「公務員の兼業・副業禁止」規定への抵触も取り沙汰されました。実際に、府教育委員会~市教育委員会~校長というルートでの調査・指導もありました。僕の当時の上司はO校長先生。とても豪快かつ知的な方でした。O校長先生からは質問1つと指導が1つのみ。「収入あるのか?」「儲けるなよ」とだけおっしゃいました。
O校長先生の指導に対して、当時の僕は「あまり言われなくてよかったな」くらいにしか感じていませんでしたが、今はそのすごさが分かります。僕も校長をしていましたが、教職員に対して同じ対応ができただろうか…。
O校長先生からは、他にも多くのことを教わりました。でも、それは「教育」の話題の時にまた書くことにします。何と言っても、僕の教員としてのあり方に大きな影響を与えてくださったO校長先生の言葉。大事に書いてみたいと思うからです。
二足のわらじ その2
「二足のわらじ」についてもう1つ。担任をしていた頃、多くの保護者の方から「教師とバンド活動、両方されているなんて!すごいですね!」みたいなことをよく言われました。でも、その質問にはいつも「そうかなあ…」と思っていました。
僕の周りにはゴルフが趣味、パチンコは副業、仕事帰りはまず一杯という先生がいました。キャンプや料理、カラオケ、ショッピングが大好きという方もいました。休日はもちろん、毎日のオフタイムには好きなことに時間を費やし、楽しんでおられたのだろうと思います。
それに比べて、僕たちのバンド練習はせいぜい週末1回2時間程度。「毎日飲みに行く方が大変やろ」と僕は思っていました。
そもそも、餃子大王を「教師がバンド活動をしている」という認識でとらえること自体がすでに誤りです。餃子大王は「バンド活動をしていた若者が教師になった」バンドにすぎないのです。

B.G.とA.G.
その後もバンド活動を順調?それなりに?続けた僕。気がつけばステージに立ち続けて43年半になりました。そんな僕のターニングポイントはやはり餃子大王への加入。つまり、僕のバンド人生は『餃子大王以前(B.G. Before Gyoza)』と『餃子大王以後(A.G. After Gyoza)』とに分けることができるのです。
ところで、僕の記憶力が低下している、過去の記憶が薄れていっているという話はしました。かつてIQ160を誇った僕も、今、何のためにそこに来たのかわからなくて立ちすくむことが増えました。本当に困ります!
僕から生まれたたくさんのBassフレーズたち。演奏中に突然、僕の中から消えてなくなることが増えました。本当に迷惑しています!
ですから、今のうちに僕のバンド人生を振り返ってみたいと思うのです。その時々に僕は何を感じたのか。そして、それは僕の考え方にどんな影響を与えたのか。これから少しずつ綴っていきたいと思います。
って、まるで終活!自分史やん!
ということで、次にこのテーマで書くときはたぶん「B.G. 高校2年~」になると思います。ただし、その時に今日のことを覚えていれば…の話です(^_-)-☆

今日も最後までお付き合いくださり、ありがとうございました!
また次回もお越しください!
お待ちしています!