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現場主義と業務改革 #164

みなさん こんにちは!
『Rockin’ Teacher 餃子大王 JUN’s club』へようこそ!
餃子大王・ベーシストのじゅんちゃんです(^^♪

大阪・北摂は台風が去り、晴れ間が戻ってきました。でも、まだ時折強い風が吹いているし、空を見上げると分厚い雲に覆われているところも…。昨夜は全国各地の被害の様子を知るたびに心が痛くなりました。権限と権力をはき違えて悪いことばかりする人たちが贅沢な暮らしをしているのに、まじめに真剣に生きてきた人がどうしてつらい思いをしなければならないのか…。失われた命は返ってきませんが、せめてしっかりとした救済措置をとってほしいと思います。

さて、今日のテーマは「現場主義と業務改革」。2日間の休日明けは教育カテゴリーの話からです。
一読に要する時間は約5分(僕計測)。よろしくお願いします(^^♪

今朝の空。レッスンルームからの撮影です。

働き方改革

「地域部活動#160」で少し書きましたが、「働き方改革」は社会の仕組みそのものを変える取組だと考えています。戦後の高度経済成長期を支えた「1日8時間労働」「週休1~2日」「終身雇用制」など。特に、バブル期に見られた「企業戦士的働き方」はすでに過去の遺物となっています。僕も職場で「もう終身雇用の時代じゃないからね」なんて話をよくしていました。

厚生労働省は「働き方改革」を「少子高齢化に伴う生産年齢人口の減少」「働く方のニーズの多様化」などの課題に対応するため「個々の事情に応じた多様な働き方を選択できる社会を実現し、働く方一人ひとりがより良い将来の展望を持てるようにする」改革としています。みなさんはこの言葉をどう解釈されますか?

社会の構成員である僕たち。諸課題に対する理解を深め、より良い社会実現のために協力し合わなければならないのは当然です。しかし、社会のために個人が犠牲になって良いかというと、それは間違いです。21世紀における「良い社会」とは「一人ひとりが自己実現できる社会」ではないでしょうか。
そのために行政や経済界等が中心になって取り組むべきミッションもありますが、それだけでは不十分。現場ごとに行うべき「業務改革」があると僕は考えます。

写真と本文は無関係です(^^ゞ

学校現場

前例踏襲が多い学校現場ですが、学校ごとの歴史や文化、伝統的な取組をすべて否定しているわけではありません。100年以上もの間、脈々と受け継がれている地域・学校文化に出合い、感銘を受けたことだって何度もあります。継承すべきものは継承して正解です。

ただ、気をつけなければならない点があります。それは、形式だけを継承しないこと。文化とは現象面だけを指す言葉ではなく、その背景にある歴史やフィロソフィーをも含む言葉です。そして、むしろ大切なのは歴史・フィロソフィーの方。形式美の代表ともいえる「伝統芸能」の世界でさえ、一つひとつの所作には意味があります。だから、すべての形式は歴史に基づくものであり、フィロソフィーを実現するための手段・方法だと僕は思っています。

僕が学校現場に対して批判的に「前例踏襲」「形骸化」と書く理由はまさにこの点です。おそらく、取組が始まった頃には「意図」があったはず。しかし、それがいつの間にか継続・実践することが目的となり、PDCAを回すこともKPT法で見直すこともなく、ただただ続けている。このあたりのことは学校GDなどの話を通じて何度も書いてきました。
残念ながら学校現場にはこのような「前例踏襲」「形骸化」が今なお多く残っています。

写真と本文は無関係です(^^ゞ

現場主義

このようなことが起きてしまう最大の原因はどこにあるのでしょう。僕は、成果の検証が苦手な学校現場の特性にあると考えています。「子どもたちの学びと成長を促す教育の成果は簡単に評価できるものではない」とする考え方は、管理的で短期的な成果主義に陥りがちな教育行政から教職員を守ることにはつながっています。しかし、この言葉は「狭義の学力観に基づく点数主義に陥ることなく、人間教育・人格形成を大切にしたい」と願う教職員の品格の表れであって、成果の検証を放棄するものではありません。

長年、学校現場で働いてきた経験から言うと、取組時に掲げた目的・目標の成果を検証する学校にはほとんど出合いませんでした。運動会を始めとする諸行事も、研究授業を中心とする校内研究もそうです。学校GDなどは、その最たるものかもしれません。

僕が現場主義を勧める理由。「〇〇は現場で起きているんだ!」とか「現場を知らない学者のくせに!」などと言って、教育委員会や研究団体、大学等を締め出そうとしているのではありません。むしろ逆です。
僕は、学校現場が成果を検証し、しっかりとしたエビデンスを持つことを現場主義と呼んでいます。そのために、外部から成果検証の視点や方法を学ぶことが学校には求められているのです。

写真と本文は無関係です(^^ゞ

業務改革

「どこの誰に教わったのかな」と思うような教育論を熱く語る教職員に多く出会いました。もちろん、それ自体は素敵なことです。ただ、理屈は言うけど実践的指導力はイマイチ…というケースもありました。情熱と口は素晴らしいけど「成果が上がってへんねんけど?」というケースです。

でも、立派な口に負けてしまうからか、きちんとしたエビデンスも無いまま効果の低い(ない)取組をいつまでも続けている学校があります。成果検証をすればすぐにわかるはずですが、残念ながらいつも検証は不十分。なので、何となくそれっぽいことを言われると「成果が上がる良い取組だ」と勘違いしてしまうのでしょう。まさに時間&労力の無駄づかい。業務改悪?民間企業であるのかなぁ、こんなこと?

と考えると、やはり重要なのはPDCA。成果検証、特に数値化は難しい課題ですが、まずは後出しジャンケンにならないように、事前に検証軸をしっかりと持つことが大切です。「校内組織(検証)#58」で書いたと思いますが、ゴールとなる子どもたちの姿を具体的にイメージすることができれば大きくずれることはありません。自信をもって取組を評価してください。

このようなPDCAを回すことなく、継続目的で小さな改善を加えることに意味はありません。まずは、成果検証がポイント!そして、成果が低い場合には、大きな枠組から見直したり、時にはやめたりする勇気を持ってください。確かに、教育の成果は見えにくく判断しづらいですが、質の高い業務に集中していくために、これらの作業はマストです。それが最後には業務の効率化にもつながるのです。

行政が責任をもって進めるべき「働き方改革」ではありますが、それだけでは何も進みません。大切なのは、現場の教職員が「業務改善」レベルではなく、常に「業務改革」まで視野に入れておくことです。
継承と発展をキーワードに、エビデンスに基づいたクリエイティブな取組が展開され、学校全体の業務改善・業務改革・働き方改革が進むことを期待しています。

最後までお付き合いくださり、ありがとうございました!
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教育

宿題を考える① #89

みなさん こんにちは!
『Rockin’ Teacher 餃子大王 JUN’s club』へようこそ!
餃子大王・ベーシストのじゅんちゃんです(^^♪

本日のテーマは「宿題を考える①」。
今日は「学校」「教職員」サイドから見た宿題。そして、明日は「子ども」「家庭」サイドから見た宿題について書いてみたいと思います。2回シリーズです。よろしくお願いします。

最初に申し上げておきます。今の僕の基本的立場は「宿題なし」です。
ただ、宿題のメリットを全否定しているわけではありません。それほど単純なものではありませんし、それほど簡単に変わる国ではないこともわかっています。ただ、メリットとデメリットを考えると、ここ数年は「宿題なし」がいいかなと考えています。

とは言え、僕自身は「宿題」を実施している学校の割合、またその内容や量、取り扱いなど、検討に必要なデータを持ち合わせていません。だから、論じること自体が無謀なのはわかっています。

でも、学校教職員を始めとする当事者が何も考えず、前例踏襲で進むことはもっと問題!
教諭時代、子どもたちに「時には立ち止まって深く考えてみることが必要だ」とよく言っていた僕。思考の結果=結論はともかく、思考すること自体が大切なのです。今後、多様な立場から多様な考えが出るといいなと思います。どうぞお付き合いください。
一読に要する時間は約4分30秒(僕計測)。よろしくお願いします。

7/7の話

今日は七夕。教諭時代には七夕集会的なイベントもよくやっていました。
朝早く出勤して、地域の方と竹林へ。いただいた笹は全校児童と一緒に飾り付け。児童委員会の子どもたちが劇をしたり紙芝居の読み聞かせをしたり…。僕も、子どもたちと一緒に読み聞かせ動画の録画・編集作業をしたり…。懐かしい。

「先生、今日晴れて良かったね!織姫様と彦星様、会えるね!」と嬉しそうに話してくれるクラスの子たち。別に大阪・北摂のお空の上で待ち合わせしているわけではないだろうけど、そんなことを考える優しさにほっこり。知識不足と言えばそれまでですが、子どもたちの素直な感性がとてもとても好きでした。

6月の掲示物。今は七夕さまの掲示物かも(^^♪

宿題への疑問

宿題について考え始めたのは、2016年頃。登下校の際に子どもにかかる負荷とそのリスクについての議論が出始めた頃です。僕たちの学校でも協議し、勉強道具の一部を学校に置いたままにしておく、いわゆる“置き勉”を導入。同じ趣旨から、週末などに大量に荷物を持ち運ぶことのないような配慮もしていました。

ただ、毎日の宿題を見てみると、教科書やノート、ドリルを使うものがメイン。「不要なものは置いて帰る」とはいうものの、置き勉の効果はかなり微妙…。で、ふと思ったのです。「宿題っている?」。

宿題のねらい

そもそも宿題はいつ、何のために誕生したのでしょう?教員生活35年の僕ですが、全く知らないので少しググってみると…。
誕生は明治時代。学校制度が始まってからわずか10年ほどの頃のようです。考案した理由は、長期休業中(夏休み中)に子どもたちが勉強したことを忘れないため!まあ、概ね想像通りってところですね。

ですから、今も昔も宿題の基本は復習と予習。学習内容の定着と次の学習準備が目的です。
さらに、もう1つの目的が、家庭学習の習慣化。「家に帰ったら毎日勉強する習慣をつけましょう」というものです。たとえば、小学生であれば(15分×学年)みたいな感じ。もしかすると、今はむしろ習慣化の方がメインかもしれません。

僕も教諭時代は当たり前のように、毎日宿題を出し続けていました。社会科の難しい課題を出していたことありますし、漢字や計算、その他の課題はかなり厳正にチェック。提出状況のデータも細かく記録していました。できるだけ意味のある宿題を出そうとは思っていましたが、宿題の是非について考えることはありませんでした。宿題はあって当たり前だったからです。

プロ教員として

でも、やっぱり「どうなのかな?」と思います。
ちょっとシビアな言い方をするならば、プロである以上、授業時間だけで勝負したいと思います。それでなくても、他国の平均と比べて学校での学習時間が長い日本。それなのに、習得・育成・涵養しきれないからだとすれば、何だかちょっと悔しい気がします。宿題ありきのカリキュラムは卒業し、授業で子どもの学びを保証する!教職員のプライドにかけて取り組んでほしいです!

学校の仕事

家庭学習の習慣化という点も疑問です。
そもそも学校が指示・管理する範囲は、特別な場合を除いて学校管理下のみ。家庭学習の習慣化や自発的な学習活動に対する子ども・保護者等の相談に応じることはあっても、学校が主導することでないと思います。

家庭学習の習慣化という名のもとに持ち帰る毎日の宿題。まるで、おとなの持ち帰り仕事!「24時間戦えますか」的発想!
子どもたちのライフ・ワーク・バランスにも目を向けたいと思います。

業務改善

宿題が教職員に大きな負担となっているケースもあります。僕は、現役時代に「速く・きれいに・正確に」(まるで算数の“は・か・せ”みたい!)採点するスキルを磨き、そのスキルに大いに助けられました。でも、誰もがすぐに身につけられるスキルではありません。

毎日毎日、子どもたちと向き合う時間をけずって行う宿題点検・採点作業。本当に必要ですか?
返却が遅れれば苦情、点検ミスがあっても苦情。中には、こなすことを諦めて、ノートとドリルだけチェック。プリントはなかったことにしよう…なんてケースも現実にあります。

ノートやドリル、作品からも子どもの様子を見取ることは可能です。でも、一番はやはり子どもと直接向き合うこと!子どもの姿を見ること、子どもの声を聴くことなしに教育は成立しません。
子どもの学びと育ちのために出した宿題が、むしろ阻害要因になっているかも…?

教職員のもつ時間と力を有効に活用知るためには、優先順位をつけて業務を整理すること=業務改善が欠かせないと僕は考えます。

明日は続編!よろしくお願いします!

最後までお付き合いくださり、ありがとうございました!
またお越しください!
お待ちしています!