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始業式 is ライブ #136

みなさん おはようございます!
『Rockin’ Teacher 餃子大王 JUN’s club』へようこそ!
餃子大王・ベーシストのじゅんちゃんです(^^♪

最近、ネット上で「夏休み終了前の職員会議で教職員に校長先生が言い放った『ひとこと』がすごい」と話題になっています。きっかけはある方の投稿。たぶんTwitter?
僕もたまたまTwitterで見つけて「いいね」を押してコメントを書きました。「夏休み 校長」などで検索できると思います。「前の職場の校長…」から始まるつぶやき。ぜひご覧ください。

ということで、今日のテーマは「始業式 is ライブ」。
一読に要する時間は約5分(僕計測)。よろしくお願いします(^^♪

投稿について

ざくっとした言い方をすれば「始業式の日に登校してきた“宿題を出せない生徒”への対応について、校長先生が教員へ出した神対応指示」に関する投稿。これが話題を呼び、8/23(火)AM6:10現在、7.8万「いいね」、リツイート8343、コメント160!すごい反響です!

これほど多くのコメントが寄せられる理由は2つ。
1つは、多くの方が「始業式」「夏休みの宿題」とは何かを知っているから。
そして、もう1つは「始業式」「夏休みの宿題」にまつわる体験・記憶には個人差があるから。

1900年代中頃までと違い、ほとんどの子どもが学校に通うことができる時代に育った僕たち。だから、多くの方が「始業式」「夏休みの宿題」と言われただけで、それが一体どういうものであるかについては一定程度共有できています。

一方、現代社会が抱えている課題もたくさんあります。虐待や不登校、ブラックな職場環境や教員の質の問題など…。そのことが「始業式」「夏休みの宿題」にまつわる具体的エピソードに個人差を生んでいます。言葉の意味は共有できても、具体的な体験・記憶・イメージは大きく異なる…。これらが、この投稿が大きな反響を呼んでいる原因の一つであると考えます。

投稿を読んで

コメント数が多い上、言葉遣いや表現方法の面で不快な気持ちになるコメントもちょいちょい。なので、僕には全部読むことはできませんでしたが、印象的には肯定的意見が圧倒的多数。僕も概ね共感的立場です。

ただ、コメントを読むと「始業式の日をどう過ごすか」という視点に加え、「そもそも宿題をどう考えるか」という視点での議論も展開されていることがわかります。コメント欄にも投稿しましたが、これらは僕も提起してきた課題。非常に興味があります。

議論については、どれが正解かはわかりません。でも、前例踏襲・慣習的に続けているものごとについて、一度立ち止まって考え、議論することには価値があると考えます。TwitterだろうとFacebookだろうときっかけは何でもよいので、学校・家庭・社会教育のあり方について柔軟に考える機会になればいいなと思います。
なお、宿題に対する僕の意見は「夏休みの宿題#88」「宿題を考える①#89」「宿題を考える②#90」に書いています。よろしければご覧ください。

始業式に向けて

僕も始業式前日や当日朝の打合せ時には、教職員の方々に「子どもたちの迎え方」「1日の過ごし方」についてお願いをしていました。それも毎回!必ず!それだけ学期初日である始業式を重視していたということです。

始業式の目標は、すべての子どもたちに学校は楽しいところであると思わせること。とりわけ、学校生活に苦手感がある子どもたちに「しんどかったけど学校に来て良かったな」「明日も登校しようかな」などのポジティブな感想を持たせること。
教職員が始業式に向けて行う物的・人的環境づくりなどすべての準備は、この目標のためにあると僕は考えています。

教職員の事情

実は教職員も子どもたちと同じ。休み明けをしんどいと感じています。「始まったからには頑張ろう!」と気合いを入れて業務に向き合っているのです。自分自身の気持ちを高めるために、黒板に子どもたち向けポジティブメッセージを書いたり、オーバーアクション気味に「久しぶり!会いたかった!」と振舞ったり♪演技?建前?そうかもしれません。

でも、それでいいのです。いつでもやる気満々な人はいません。それは教職員だって同じ。だからと言って、不機嫌でやる気のない顔を子どもたちに見せるのは間違い!だからこれでいいのです。
ただし、同じ対応を子どもたちに求めるのはNG。前日までの準備と当日のパフォーマンスで、子どもたちを前向きな気持ちにさせていくのが正解です。

ところで、始業式の日は午後カットで午前中だけ…という学校が多いです。そのため、教職員は限られた時間の中で宿題を回収したり、たくさんのプリントを配ったりと、かなり慌ただしい日でもあります。

始業式の日の目標は「子どもたちを前向きに…」なのに、放っておくと、子どもたちも教職員も事務作業のために登校・出勤したかのような過ごし方になりがちです。だからこそ、最も大切なこと=目標は何かを明確にし、学校全体で共有することが重要なのです。

ライブ活動

僕は、お客さんたちに自然に楽しんでいただけるLiveをめざしています。「気がついたらノリノリ、夢中になってた!」「最初は興味なかったけど、最後は楽しんでた!」みたいな感じでしょうか。YouTubeも同じように考えています。
だから、いきなり「のってるか!」なんて聞かれると困ってしまう派です。バンド都合で煽れば煽るほど、逆に気持ちが冷めていく…。僕の場合は、最後まで観ること自体がしんどくなってしまいます。

最初から全開バリバリが喜ばれるのは、始まる前からファンの熱気で会場中がいっぱいになっている場合だけ。でも、残念ながら始業式の日の朝の教室に、そこまでのムードはありません。だから「気がついたら…」作戦が有効なのです。

僕たちのLiveはおもしろくなければ、次はもう来てくれませんが、学校はそうではありません。少しくらいつまらなくても、翌日も登校してくれる子がほとんどです。でも、だからと言って、そんなことに甘えていてはいけません。効果的な教育活動を行うためには、子どもたちのモチベーションを高める努力が欠かせないのです。下校時刻が近づいてきた頃、「まだ帰りたくなーい!」「また明日ねー!」などアンコールを求める声で教室がいっぱいになるといいですね。

まもなく2学期が始まります。2日目以降の学校生活を充実させるために、始業式はどうあるべきかを考え、子どもたちと一緒に楽しくスタートを切ってくださることを祈っています(^^♪

最後までお付き合いくださり、ありがとうございました!
またお越しください!
お待ちしています!

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宿題を考える② #90

みなさん こんにちは!
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餃子大王・ベーシストのじゅんちゃんです(^^♪

今日のテーマは「宿題を考える②」。
昨日は、僕が「宿題なし」を主張している理由を、「学校・教職員」サイドから書きました。本日は続編。
主に「子ども・家庭」サイドから考えてみたいと思います。最後までお付き合いください。
一読に要する時間は約5分(僕計測)。よろしくお願いします。

宿題のパターン

学校によっては宿題の質・量を工夫している場合もあります。でも、中には「出すルールだから」「何が出せる?」なんて感じで無理やり考える場合も…。あぁ、これは教職員サイドの問題です(^^;
そんなプロセスを経て出された宿題。公教育ですから、難易度・量ともに学力中間層の子どもたちを基準にしたものになっていることが多いです。

子どもへの影響

そうすると、学力上位層にはすでに定着済みの課題ばかり。そのくせ15分×学年の量ですので、学力上位層と言えど、それなりに時間はかかります。特に、漢字の練習など!
新たな気づきに出合う可能性が限りなく低い学習。「やる意味」を感じないまま、ただこなすだけの毎日が及ぼすマイナス影響は実に深刻です。

一方、学力低位層にとって、日々の宿題は超ハードタスク!質・量を軽減されるのも自尊心が傷つく…。
来る日も来る日も「わからない」まま受け続ける5~6時間の授業と、それを乗り越えた後に待っている大量の宿題。これ以上、何を頑張れと?ちゃんとわかるように教えてもらえていないのに、家に帰ってひとりでできるはずがありません。
ついには「宿題できてないから学校に行きたくない」となるケースも出てきます。朝から親子バトル…こんなパターンもありませんか?

最後に学力中間層の子どもたち。
宿題の基準となる子どもたちですから、まじめに取り組みさえすればこなせます。一見、デメリットなんてなさそうですが、実は“こなせる”という点が問題です。

学校から出された宿題を毎日きちんとこなすことで「宿題さえやれば大丈夫」的発想になってしまうリスクがあるのです。現に、宿題をタスクとして処理した後は、何もしない子が大勢!
「指示待ち」「指示通り」「体裁のみ」など、日本の子どもたちが抱えている課題の原因は、案外こんなところにあるのかもしれません。

環境と特性

家庭の事情が子どもたちの宿題に影響を及ぼすケースがあります。
家には宿題をする場所も時間もないという子どもたち。プリント広げれば幼いきょうだいが破ってしまう。上のきょうだいが友達と大騒ぎしている。仕方がなく自分はアパートの階段で宿題…という子もいました。

ASDやADHD、LDなど発達障害等による子どもの特性も関係します。
たとえば、「いくら書いても文字が覚えられない」という子もいます。ルーティンワークがすべての子に有効なわけではないのです。そのような中で身につく力と言えば、せいぜい「意味を問わずにやりきる力」くらいではないでしょうか?
子どもとは言え、限りある命。何事も無駄なく…とは思いませんが、意味のないことに時間と労力をかけるのはあまりにもったいない。一人ひとりの特性や個性に応じた学び方を考える時代です。

家庭教育力

家庭・地域の教育力低下は大きな社会課題です。
国・自治体は地域コミュニティの活性化、生涯学習社会の構築など、さまざまな方策を打ち出していますが、その成果は微妙な感じです。
また、何か事件・事故が起きると「学校教育に期待と責任」を押し付けるばかりで効果的な手立てを打つ様子は見られません。いつも、学校現場に指示するだけ!
たとえば、ネットトラブルなどは、むしろ家庭・社会に原因・責任がある場合がほとんどなのに!

このような国・自治体の姿勢は「学校が何でもしてくれますよ」というメッセージとして保護者に伝わります。
それが、「過保護」「過剰期待」「放任」など…虐待未満の課題の一因になっているかもしれません。
子どもの安全・安心の確保、学びと育ちの土台は家庭にあります。保護者としてどのように子どもに接すればよいのか。どう接すれば子どもたちの心身が健やかに育まれるのか。それらを保護者自身が考えることこそが何よりも重要なのです。

学校が「宿題」というシステムで家庭学習・家庭教育の一部までカバーしようとすること。それが、保護者の思考力・教育力の低下を引き起こすことにつながっていないか…。僕は心配しています。

社会の課題

“共働き”“鍵っ子”が流行った1960年代。あれから50年以上が経過。核家族、共働き家庭、一人親家庭の増加など、社会の様子はずいぶん変わりました。ただ、社会進出する女性が増えた一方で、保護者が育児に専念できる条件は未整備のままです。

まず問題は「育児は女性の仕事」とする社会の風潮が変わっていない点。女性によるワンオペがまだまだ一般的です。育児参加をする男性でもせいぜい“手伝い・協力”どまりの状況です。

さらに大きな問題は、働く理由の問題。
共働きを含む、女性の社会進出はジェンダーフリーなど、前向きな考え方に支えられてきました。
しかし、現実には、自己実現や社会貢献ではなく、経済的事情により“働かざるを得ない”という保護者が圧倒的多数です。
どうしてこんなに長時間労働をしないと経済的に自立できないのでしょう?大切なわが子と心穏やかに向き合うことができないほどに!

国や自治体には、家庭・地域教育力の向上や生涯学習社会構築をいう前に、そして、学校現場に指示を出す前に、根本的な社会基盤の整備を行ってほしいと思います。
そもそも家庭・地域教育力がなぜ低下したのか?
それは庶民に厳しい社会構造が原因です。自分のやりたいことはおろか、家庭や地域での役割を果たすことすら困難な状況。そのような状況改善こそが家庭教育力向上の最良の方法だと僕は考えます。

追記

もちろん「宿題にはメリットがない」とは言いません。ただ、常に自分たちの営みは最適なのかを問い続けることは重要です。その中で「やめる」「個別最適な課題を提示する」など、学校・地域の特色が生かされた、子どもにとって意味のある学習が実現されていくのだと思います。これからも、たくさんの当たり前について、時々立ち止まって深く考えることができるといいなと思います。

でも、まずは高校受験、考えて欲しいなぁ。大学はAO中心になってきているようですよね。高校受験も変わるかな?まぁ、大学入試も10年後はどうなっているか、わかりませんけどね(^^;)

最後までお付き合いくださり、ありがとうございました!
またお越しください!
お待ちしています!

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宿題を考える① #89

みなさん こんにちは!
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餃子大王・ベーシストのじゅんちゃんです(^^♪

本日のテーマは「宿題を考える①」。
今日は「学校」「教職員」サイドから見た宿題。そして、明日は「子ども」「家庭」サイドから見た宿題について書いてみたいと思います。2回シリーズです。よろしくお願いします。

最初に申し上げておきます。今の僕の基本的立場は「宿題なし」です。
ただ、宿題のメリットを全否定しているわけではありません。それほど単純なものではありませんし、それほど簡単に変わる国ではないこともわかっています。ただ、メリットとデメリットを考えると、ここ数年は「宿題なし」がいいかなと考えています。

とは言え、僕自身は「宿題」を実施している学校の割合、またその内容や量、取り扱いなど、検討に必要なデータを持ち合わせていません。だから、論じること自体が無謀なのはわかっています。

でも、学校教職員を始めとする当事者が何も考えず、前例踏襲で進むことはもっと問題!
教諭時代、子どもたちに「時には立ち止まって深く考えてみることが必要だ」とよく言っていた僕。思考の結果=結論はともかく、思考すること自体が大切なのです。今後、多様な立場から多様な考えが出るといいなと思います。どうぞお付き合いください。
一読に要する時間は約4分30秒(僕計測)。よろしくお願いします。

7/7の話

今日は七夕。教諭時代には七夕集会的なイベントもよくやっていました。
朝早く出勤して、地域の方と竹林へ。いただいた笹は全校児童と一緒に飾り付け。児童委員会の子どもたちが劇をしたり紙芝居の読み聞かせをしたり…。僕も、子どもたちと一緒に読み聞かせ動画の録画・編集作業をしたり…。懐かしい。

「先生、今日晴れて良かったね!織姫様と彦星様、会えるね!」と嬉しそうに話してくれるクラスの子たち。別に大阪・北摂のお空の上で待ち合わせしているわけではないだろうけど、そんなことを考える優しさにほっこり。知識不足と言えばそれまでですが、子どもたちの素直な感性がとてもとても好きでした。

6月の掲示物。今は七夕さまの掲示物かも(^^♪

宿題への疑問

宿題について考え始めたのは、2016年頃。登下校の際に子どもにかかる負荷とそのリスクについての議論が出始めた頃です。僕たちの学校でも協議し、勉強道具の一部を学校に置いたままにしておく、いわゆる“置き勉”を導入。同じ趣旨から、週末などに大量に荷物を持ち運ぶことのないような配慮もしていました。

ただ、毎日の宿題を見てみると、教科書やノート、ドリルを使うものがメイン。「不要なものは置いて帰る」とはいうものの、置き勉の効果はかなり微妙…。で、ふと思ったのです。「宿題っている?」。

宿題のねらい

そもそも宿題はいつ、何のために誕生したのでしょう?教員生活35年の僕ですが、全く知らないので少しググってみると…。
誕生は明治時代。学校制度が始まってからわずか10年ほどの頃のようです。考案した理由は、長期休業中(夏休み中)に子どもたちが勉強したことを忘れないため!まあ、概ね想像通りってところですね。

ですから、今も昔も宿題の基本は復習と予習。学習内容の定着と次の学習準備が目的です。
さらに、もう1つの目的が、家庭学習の習慣化。「家に帰ったら毎日勉強する習慣をつけましょう」というものです。たとえば、小学生であれば(15分×学年)みたいな感じ。もしかすると、今はむしろ習慣化の方がメインかもしれません。

僕も教諭時代は当たり前のように、毎日宿題を出し続けていました。社会科の難しい課題を出していたことありますし、漢字や計算、その他の課題はかなり厳正にチェック。提出状況のデータも細かく記録していました。できるだけ意味のある宿題を出そうとは思っていましたが、宿題の是非について考えることはありませんでした。宿題はあって当たり前だったからです。

プロ教員として

でも、やっぱり「どうなのかな?」と思います。
ちょっとシビアな言い方をするならば、プロである以上、授業時間だけで勝負したいと思います。それでなくても、他国の平均と比べて学校での学習時間が長い日本。それなのに、習得・育成・涵養しきれないからだとすれば、何だかちょっと悔しい気がします。宿題ありきのカリキュラムは卒業し、授業で子どもの学びを保証する!教職員のプライドにかけて取り組んでほしいです!

学校の仕事

家庭学習の習慣化という点も疑問です。
そもそも学校が指示・管理する範囲は、特別な場合を除いて学校管理下のみ。家庭学習の習慣化や自発的な学習活動に対する子ども・保護者等の相談に応じることはあっても、学校が主導することでないと思います。

家庭学習の習慣化という名のもとに持ち帰る毎日の宿題。まるで、おとなの持ち帰り仕事!「24時間戦えますか」的発想!
子どもたちのライフ・ワーク・バランスにも目を向けたいと思います。

業務改善

宿題が教職員に大きな負担となっているケースもあります。僕は、現役時代に「速く・きれいに・正確に」(まるで算数の“は・か・せ”みたい!)採点するスキルを磨き、そのスキルに大いに助けられました。でも、誰もがすぐに身につけられるスキルではありません。

毎日毎日、子どもたちと向き合う時間をけずって行う宿題点検・採点作業。本当に必要ですか?
返却が遅れれば苦情、点検ミスがあっても苦情。中には、こなすことを諦めて、ノートとドリルだけチェック。プリントはなかったことにしよう…なんてケースも現実にあります。

ノートやドリル、作品からも子どもの様子を見取ることは可能です。でも、一番はやはり子どもと直接向き合うこと!子どもの姿を見ること、子どもの声を聴くことなしに教育は成立しません。
子どもの学びと育ちのために出した宿題が、むしろ阻害要因になっているかも…?

教職員のもつ時間と力を有効に活用知るためには、優先順位をつけて業務を整理すること=業務改善が欠かせないと僕は考えます。

明日は続編!よろしくお願いします!

最後までお付き合いくださり、ありがとうございました!
またお越しください!
お待ちしています!