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モンスターペアレント分析 #209

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今日のテーマは「モンスターペアレント分析」。
一読に要する時間は約3分(僕計測)。よろしくお願いします(^^♪

写真と本文は無関係です(^^ゞ

モンペという言葉

今から15年ほど前に向山洋一氏によりつくられた造語「モンスターペアレント」。
この言葉の誕生により「理不尽な要求をする保護者の存在」が明らかになりました。同時に「モンペと言われたくない」と考える保護者が増えるなど、モンペ出現に対する抑止的効果もありました。

ただ、僕はこの言葉が好きではありません。35年間の教員生活でモンペ的な方に出会わなかったわけではありません。
中には激昂し理不尽な要求をする方もいました。管理職として連日・長時間の対応をした経験もあります。しかし、お互いの立場・考えを伝え合い、納得できる着地点を模索するのに十分な時間が必要なケースだってあるのです。

もちろん、教職員の業務改善は必要ですし、限界設定の必要性も感じています。でも、簡単に「モンペ」とくくる風潮には賛成しかねるのです。

何よりも穏やかな心でいることが大切ですね。これは熊本県相良町(*^^*)

モンペ分析

最近、流行の「〇〇ハラスメント」。少し何かあると「〇ハラ」と問題視するムードがあります。細部に気を配ることは大切ですが、過ぎたるは及ばざるがごとし。タブーをつくったり、揚げ足取り的攻撃手段になったりしていることもあるようです。
教職員が「モンペ」をそんな感覚で捉えていないか。少し気になります。

そこで必要なのが分析。分析視点は「理由」「内容」「方法」の3点ですが、できれば管理職や同僚教職員と一緒に分析することを勧めます。この作業は、教職員自身の怒り・恐怖・違和感等の原因分析にもつながります。

ここは淡路島「幸せのパンケーキ」

要求・要望の理由・背景

多くの場合、人間の行動には理由があります。ですから、まずは「保護者がなぜ行動を起こしたか」を探ることから始めます。

実際、僕の経験では「そりゃ、保護者も怒るやろ!」ということが少なくありませんでした。合理的な理由がある場合には、当然「モンペ」にはあたりません。
時に、勘違いや理解の相違が理由となっている場合があります。でも、それだけで即「モンペ」とは言いません。「モンペ的理由」とは、もっと利己的・非常識な理由です。

広島平和記念公園

要求・要望の内容

要求・要望は「誰の利益につながるか」「合理的であるか」などの視点から分析します。「できるかどうか」は別問題。保護者に寄り添う気持ちで柔軟に考えることが大切です。

特に、学校の常識やメンツ、担任・担当のプライド、対応の手間などを考えてしまうと判断を誤ります。子どもたちの利益になること、学校改善に資することなど、適切で合理的な判断基準をもつことが重要です。変化を恐れる必要はありません。

その上で、過度に利己的な要求、業務に無関係な金銭・謝罪の要求だと判断すれば、それは「モンペ的要求」。場合によっては、教育委員会や弁護士、警察などが対応すべき事案です。

岡山県・龍泉寺

要求・要望の方法

「教職員に対するリスペクトの欠如=モンペ」としてしまう場合があります。理由や要求内容以前に、自己否定・批判されたと感じることが原因です。でも、それはNG。
大切なわが子が傷つき損をすれば、保護者は怒って当たり前。プロの教職員としては、保護者の感情的な言動も一定程度は理解・受容することが必要です。

ただし、恫喝・脅迫などは犯罪行為。連日・長時間・時間外の対応を要求するのも非常識。このような場合は「モンペ認定」でOKです。

と、ここまで「モンペ分析」について書いてきましたが、大切なのは教職員・保護者が互いにリスペクトし合うこと。「モンペ」かどうかではありません。またいつか、対応のポイントについても書いてみたいと思います(^^)/

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運動会の見方 #207

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今日のテーマは「運動会の見方」。
一読に要する時間は3分強(僕計測)。よろしくお願いします(^^♪

運動会観覧

小学校最大の行事・運動会。当然、保護者はわが子やわが子の友だちの活躍を観ることが目的です。
でも、運動会には“学校の考え方”が反映されていることもしばしば。学校教育への関心を高めるためにも、多様な視点をもって運動会を参観されることをお勧めします。

と言っても、参観ポイントが決まっているわけではありません。学校グランドデザインとの関連、日程等の枠組み、会場の工夫など、演技・競技と関係無さそうなことも含めて、ご自身の興味に基づいてご覧いただくと良いと思います。もちろん、これは他の行事参観でも同じです。

ちなみに、僕は演技・競技の内容・レベルよりも、子どもたちのようすがメイン。併せて、実施時期や開催方法、会場設営、当日の児童支援のあり方などを通じて、学校の方針・力量を感じるようにしています。

保護者の参観

「“子どもの学びと育ち”と“保護者“”との関係」に対する学校の考え方は、運動会など保護者参加型行事に表れます。コロナ禍のため学校行事の実施・運営が困難になったここ数年は特にそうです。

1か月前に参観したI小学校は、今年も「児童向け運動会」と「保護者向け運動会」の2回開催。「児童向け」は全児童が一堂に会し、お互いに学び合う場。「保護者向け」は、2学年ごとのプログラムに沿って、わが子の学年を中心に参観。保護者に子どもたちの努力と成長を感じてもらう場としていました。

卒業式・入学式・音楽会・授業参観などの他の行事においても、保護者の参加を追求してきたI小学校。子どもたちの成長に保護者の存在が不可欠だとする学校の考え方に基づいています。

学校の方針

原則として行事日程は学校裁量。子どもの学びと育ちのプログラムをベースに、熱中症・自然災害などのリスク回避、他行事との兼ね合いなどを総合的に判断し年間スケジュールを決めています。
運動会についても同様。春季運動会も含め、開催時期には各市町村・学校の事情・考え方が反映されています。

会場設営やプログラムの工夫にも学校の配慮を感じることができます。子どもたちの健康安全を守る手立て。保護者が参加・参観しやすい工夫。教職員が協働しながら効率よく動けるシステムづくり。
子どもたちはもちろん、保護者や教職員スタッフに対しても細やかな気遣いを実践している学校は、普段から一人ひとりを大切にする教育を実践している学校。運動会から、そんなことも感じることができます。

子どもへの言葉

子どもの演技・競技を参観する際には、出来や勝敗以外の評価ポイントをもっておくことが重要です。

運動が得意な子どもにとって運動会が活躍の場となることは良いことです。でも、「できた」「勝った」を評価し過ぎると、子どもは「成功・勝利しなければ価値がない」と考えるようになります。
長い人生、うまくいくときばかりではありません。成果が伴わなければ価値がないわけでもありません。成功・勝利の喜びを分かち合いつつも、より評価すべきは「生き生きとした姿」。「成長を感じた喜び」を私(I)メッセージで伝えることが大切です。

もちろん、運動が苦手な子たちについても同じ。特に、発達障害等の特性を持つ子にとっては演技・競技以外の時間こそ大変!とっても頑張っているのです。その子らしい目標のもと、子ども自身が成果を実感できるよう、教職員・保護者は練習段階から適切に支援・指導を行うことが重要です。

運動会等の行事が子どもたちの学びと育ちにつながること、学校改善の機会となることを期待しています(^^)/

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災害の教訓化 #206

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今日のテーマは「災害の教訓化」。
災害や事件・事故などの記憶を風化させることなく、教訓化することは大切です。でも…。
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令和2年7月豪雨災害

先日帰省した熊本県人吉市。盆地につくられた人口わずか3万数千人の小さな町です。
令和2年7月豪雨により、球磨川と複数の支流の氾濫・土砂崩れが発生。氾濫流は約518haもの広範囲に及び、多数の人的被害に加え、4681戸の建物倒壊・浸水、橋梁流失、道路損壊など大規模災害となりました。

町には災害の規模を伝える記録が多く残されていました。
たとえば、僕たちが訪れた国宝「青井阿蘇神社」。近くの電柱には「実績浸水深3.8m」と記されたパネルが取り付けられていました。
また、市や企業のホームページには災害のようすや被害状況を伝えるデータや写真が多数アップされています。見学した「繊月酒造」にも当時の被害状況を伝えるパネル写真が展示されていました。

災害で失われた尊い命を追悼すること。そして、災害の記憶を風化させることなく、教訓化し、町と暮らしを再建すること。そんな強い思いが町中にあふれていました。

韓国・雑踏事故

10/29にソウル・梨泰院で起きた雑踏事故。150人以上が亡くなる悲しい事故の原因は10万人以上もの人が集まったことにより発生した「群衆雪崩」と呼ばれる現象だそうです。僕はこのニュースを人吉市で知りました。被害者の中に、夢をもって韓国に留学していた日本人がおられたことも報道で知りました。国籍・年齢・性別などに関わらず、人の命が失われるというニュースはとても悲しいものです。

今朝の朝日新聞では、事件の続報が大きく報道されていました。現地のようすや悲しみに暮れるご家族・ご友人の方々のコメントなど。読むだけで心が痛みます。

横の記事に目を移すと「自分にも起こると認識を」の見出し。明石花火大会歩道橋事故・ご遺族が「明石の事故を思い出し、心が痛んだ」とコメントされていました。
さらにその横には10/31の大阪ミナミに集まった群衆の写真とともに「コロナが収まってきたので、羽目をはずしたかった」という参加者のコメントも掲載。
何とも言えない微妙な気持ちになりました。

記憶と教訓化

阪神淡路大震災発生時、実家で被災したMちゃん。北淡震災記念公園や野島断層保存館見学をとても嫌がっていました。家屋の被害だけでなく、家族みんなが生命の危機にさらされた記憶が蘇ることがとてもつらいそうです。

明石歩道橋事故の当日、群衆の中から危機一髪で脱出した音楽仲間。この間、思い出したくない映像がテレビで繰り返し流されることを「少ししんどい」とSNSに投稿していました。

戦争・災害・事件・事故などの記憶を風化させず教訓化することはとても大切です。
テレビの向こう側のできごとを「かわいそう」と感じても、自分事として考えることが苦手な僕たち。「自分は大丈夫」とどこか思っているかもしれない僕たち。

そんな僕たちに、メディアはその社会的役割のもと、過去映像を活用しながら注意喚起をしてくれます。
町や施設には貴重な資料が保存・展示され、常に僕たちにメッセージを届けてくれます。学校では安全教育として、様々な対応・避難訓練を繰り返し実施。テーマに応じた視聴覚教材を活用しながら、子どもたちとともに命を守るとりくみを進めています。

しかし、人によりくぐってきた経験や記憶には違いがあります。感じ方にも個人差があります。
人の命を守るとりくみだからこそ、報道も教育も、もっともっと優しく温かいものになるといいな。今日はそんなことを考えました。

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不登校問題 #202

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今日のテーマは「不登校問題」。
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2021年度データ

文部科学省調査によると、2021年度に「不登校」とされた小中学生の数は前年度比24.9%増の約24万5千人。併せて公表された「いじめ」の認知件数とともに過去最多を更新しました。文科省は長期化するコロナ禍によるストレスが「不登校」「いじめ」に要因となっていると分析しているようです。

この文科省調査は、各地教委の指示により各学校が調査・報告したデータを集約したもの。そのため、各学校・教委が個別の事案をどのように判断・分析するかにより、データは大きく変わってきます。

現在、「いじめ」は積極的認知が重要で「認知件数の多さは早期発見・対応の結果」と評価されるようになりました。また、「不登校」についても「不登校者数」自体を問題視することが減ったため、学校現場としては正確な報告を行いやすくなったと言えるのではないでしょうか。

写真は本文とは無関係です(^^ゞ

学校現場

とはいえ、「いじめ・不登校」同様の調査・報告が山積みの学校現場。教職員のストレス分析アンケートでは「調査・報告業務がストレス源である」という回答が常に上位をキープ。業務そのものが大きな負担になっています。

国の教育方針・施策を策定するための重要なデータでありながら、現場感覚では改善につながっているとは思えない調査。学校にとって最もコスパの悪い業務の1つが「文科省・教委による調査・報告業務」です。

「不登校」に悩む子どもや保護者と向き合う時に、学校現場に必要なのは「ありきたりの分析」ではなく、あらゆる面でのゆとりと柔軟性です。個々の抱えている課題に寄り添うには、様々な生き方・価値観を尊重できるシステムが重要です。国・自治体は調査して終わりではなく、現実的な支援を行う責務を負うべきです。

不登校の要因

今年は「コロナ禍が原因」という分析が可能でした。しかし、「コロナ禍」がなければ不登校者数は減少していたのでしょうか?また、「コロナ禍」以外に原因はないのでしょうか?

「探究・活用型学習」に変わってきたとはいえ、教育内容は相変わらず膨大!授業をハイピッチで進めなければ履修もれが生じます。子どもたちに力をつけたいと願いながら「習得よりも修了・終了が先決」とならざるを得ない現状。合理的配慮やUD化が進まず、多様な特性をもつ子どものニーズに対応できないことで、楽しく学べない子どもが出てくるのは当然です。

さらに宿題!学校で頑張ったのに家でも勉強!まさにバブル期のサラリーマン!「しんどい」「行きたくない」と感じる子がいても不思議はありません。

ゴールは未来

学校教職員としては「学校が好き」でいてほしいです。元気に登校して楽しく学び、いろんな力をいっぱい育んでほしいです。
でも、今の窮屈なシステムに合わない子がいることも理解できます。だから「登校しない」という選択肢があってもいいのです。「不登校」であることを悩む必要はありません。ましてや、保護者が責任を感じることなど何一つありません。

教育の目的は「人格の形成」。つまり「社会の一員として自分らしく豊かな未来を生きる」ために行います。フリースクールはもちろん、家庭教育でもかまいません。仮想空間にある学校にアバターで登校することだってOK。すべてが実現可能な時代です。

生きていくためには知識・技能も必要ですが、最も大切なのは他者とともに生きる力。リアルかバーチャルかではなく、自分が関わるものごとの先に生身の人間が存在するかどうかが重要です。システムは人がより良く生きるための道具であり、主役は人です。他者との関りを失わなければ、それで十分だと僕は思います(*^^)v

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沈黙と雄弁と訥弁と #196

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今日のテーマは「沈黙と雄弁と訥弁(とつべん)と」。
「沈黙は金、雄弁は銀」について“優しさ”ベースで考えてみました。
一読に要する時間は約3分(僕計測)。よろしくお願いします(^^♪

沈黙は金、雄弁は銀

「沈黙は金、雄弁は銀」という諺は、イギリスの歴史家・評論家であるトーマス・カーライル(Thomas Carlyle、1795-1881)の著書『衣装哲学』にみられる「Speech is silver, silence is golden.」の和訳。9世紀ごろのアラブ文化に由来すると言われています。

本来は「沈黙を守る方が、雄弁に語るよりも価値がある」という意味ですが、もちろんケースバイケース。「今は黙ってる場合じゃないやろ!」「そこは沈黙でしょ!」など、時と場合に応じて活用してこそ意味があります。

沈黙こそ金

学級担任の頃、子どもたちが失敗したり過ちを犯したりすることがありました。管理職になってからも、教職員がミスをすることがありました。こんな時には、担任・上司として言うべき言葉があります。でも、本人たちがミスを悔やみ反省している時に、さらに追い打ちをかけるような言葉は不要です。感情に任せて批判・否定・攻撃することは誰のプラスにもなりません。

ミニバス時代には、全国屈指の指導者H先生に学ぶために、余計なことは言わず謙虚な気持ちで教えを乞うようにしました。このような場で、自分をよく見せようとすることはマイナスにしかならないからです。

日常生活においても、余計なこと・デリカシーのない言動は慎むように心がけています。
でも、それは日本的美徳を意識したものではなく、ましてや同調・迎合するためではありません。

雄弁こそ金

雄弁とは「人の心を動かす力強い弁舌のこと」。
ポイントは“人の心を動かす”ところ。ですから“流暢”であっても、相手の心に響かなければ雄弁とは言えません。最近の政治家の言葉はまさにそんな感じ。もう少し心に届く言葉を語ってほしいと思います。

学校のような小さな組織でも、人の心を動かす言葉が必要なことがあります。語る対象は、子どもたち・保護者・地域の方・教職員と様々ですが、しっかりと言葉を届けることが大切です。

そのためには、まず自分自身がしっかりと考える習慣を身につけておくこと。同時に、自他を大切にする心を育てておくことも重要です。

明確な考えも他者へのリスペクトも持たず、ただ同調・迎合しているだけの「沈黙」に価値はありません。必要な時に必要なことをしっかりと届ける「雄弁」こそが金である時もあるのです。

訥弁こそ金

訥弁とは、なめらかでない話し方のことを言います。

人とのコミュニケーションで難しいのは、言うべきことと言うべきでないことの区別と実践です。
たとえば、管理職になると部下を指導すべき場面に出合いますが、どう指導するかは難しい問題です。

もちろん「沈黙」のみはNGです。人材育成は上司の義務ですが、部下の権利でもあります。必要な指導をしないことは職務放棄というだけでなく、人に対する優しさに欠ける行為です。
だからといって「言ってやった!」というのも間違いです。相手に届いてこその「雄弁」。一方的・高圧的な指導では成果は望めません。言われなくてもわかっていることやわかっているけどできないこともあるのです。優しさのない言葉は相手の心には届きません。

ですから、時には「訥弁」でも構わないと思うのです。流暢でなくても、相手の思いを感じながら丁寧に言葉を選び、思いを心に届けることが大切です。

仕事でもライブでも日常生活でも、自分の考えと自他への優しさをもちながら、温かさを感じることができるコミュニケーションを心がけていきたいと思います。沈黙と雄弁と訥弁を上手に使い分けて(^^♪

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アンガーマネジメント#188

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昨日の「保護者対応#187」で少しふれたアンガーマネジメント。簡単に書きましたが、実は僕もとても苦労をしています。そこで、今日のテーマは「アンガーマネジメント」。
一読に要する時間は約5分(僕計測)。よろしくお願いします(^^♪

怒りの感情

精神科医や心理学、そしてアンガーマネジメントの専門家の方々など、「怒り」の専門家はたくさんおられます。でも、怒りの感情自体を否定はされる方はいないように思います。
つまり、怒りの感情は自然なもの。なくす必要はないし、そもそもなくなるものではありません。むしろ、人間がより良く生きていくためには必要な感情だと言えるかもしれません。

しかし、怒りが日常生活上のトラブルの原因になっていることは事実。それどころか、時には戦争を引き起こすことさえ!そうなると、やはり話は少し違ってきます。
なくす必要はないけど、マネジメント(管理)はしっかり行うことが望ましい。つまり、「怒る時と怒らない時を区別」したり、「怒りの表現や方向をコントロール」したりすることが必要だという話。そのためにアンガーマネジメントという考え方があるのだと思います。

ちなみに僕が決めた「本気で怒る時の基準」は「人生の晩年や最期の瞬間になってなお“許せない”と思う怒りであるかどうか」。これを基準にして、それ以下の怒りは「最後はどうでもいいもの」に分類しようと考えています。全然できていませんが…(^^;

アンガーマネジメント

アンガーマネジメント関連書籍を読むと、怒りを感じた時の対処法として「深呼吸する」「6秒数える」「その場を離れる」などの方法が紹介されています。どの方法が良いというのではなく、自分に合う方法を実践すればよいということのようです。

ただ、実践するとなると、これがなかなか難しい!何と言っても、怒りの感情に支配されないようにしなければなりません。怒りがわいた途端に「深呼吸」「数える」「場を離れる」など、すべて忘れてしまった…では何にもならないからです。

これは、緊急時の対応に似ています。災害発生時に適切な行動を取ることができるかどうかは、冷静さを保てるかどうかにかかっています。そのために、僕たちは日々小さな訓練を積み上げているのです。
この方法はアンガーマネジメント習得にもきっと有効。小さな怒りを感じるたびに、自分に合うマネジメント方法を実践することで、いざという時に使える力が身につくのではないかと思います。

とはいえ、怒りのエネルギーはすさまじい!ジブリ映画『風の谷のナウシカ』では「王蟲(おうむ)」たちが、『もののけ姫』では猪神「乙事主(おっことぬし)」が怒りで我を忘れるシーンが出てきます。膨大なエネルギーを持つ怒りの感情を制御することは本当に難しいですね。

モチベーション

その困難さを克服するには、強い動機が必要になります。それが困難への挑戦を支えるモチベーションとなるからです。

動機は「怒りを爆発させた結果、とても損(後悔)をした」「怒りを制御したことで得をした」のような損得勘定に基づくものでも構いません。そもそも怒りの感情自体が、身体的に拘束されることや自尊心を傷つけられるなど、身体的・心理的な不快さに対して起こる感情です。自分の不快さを取り除き、快適な状況をつくるためのエネルギーが怒りの感情だとすれば、怒りはもともと個人的・利己的なものであるからです。自分なりの動機を持つことは、アンガーマネジメント習得にマストなのではないかと思います。

表現方法

教諭時代の晩年になってようやく子どもたちに冷静に指導することができるようになりました。と言っても、いつもニコニコしていたわけではありません。間違ったことをした時には怒りを感じることだってありましたし、時には感情的な言葉を使って強く指導することもありました。

ただ、もちろん怒りに任せて…ではありません。
僕が感情的な表現で伝えようとしたのは、子どもたちのもつ強み。能力や結果ではなく、やさしさやあたたかさといった子どもたちの強みを子どもたちの心に届けることで、子どもたちに「より良く生きたい」と願ってほしいと思っていたのです。

“自分の望む状況”と“現実”とのギャップにより怒りは起こります。そう考えると、怒りは感情的というよりも論理的かもしれません。「自分は何に怒りを感じているのか」を常に問う習慣を身につけることで、自分が望んでいる状況が明確になるかもしれません。そうなれば、そこに近づくための表現方法だって見つかるような気がします。

本来、人間に備わっている怒りという感情は、ストレスフルな環境下で発生・爆発しやすくなります。その怒りを抑えようとすればするほど、逆に大きなストレスがかかり、次の怒りを生みやすくなります。だから、怒りは抑えるのではなく活用する。表現方法の工夫はその1つです。それが理想的なアンガーマネジメントなのではないかなと思います。

自分の話

子どもの頃から感情の起伏が大きかった僕。怒りの感情もコントロールしていなかったため、学生時代には瞬間湯沸かし器(超・昭和的!)と言われたこともありました。当時は心のどこかに「喧嘩上等的思考」がありましたし、むしろ「ロックっぽい」くらいに思っていたかもしれません。

それにしても怒りはかなり厄介です。ディズニー&ピクサー映画『インサイド・ヘッド』に登場する「イカリ」そのもの。一度キレてしまうと自分で止めることはできません。そして、最後には「そこまでは思っていなかったのに…」というような言動にまで及ぶ始末。きっと、怒っているうちに「勝負に勝つ」ことが目的化するからだと思います。

ただ、そのせいで失敗したこともたくさんありました。人に迷惑をかけたり傷つけたり…。そして、自分も損をしたり嫌な思いをしたり…。本当に後悔することがたくさんあります。

僕が、学校教職員として自分なりにまっすぐ精一杯頑張ってきたのは、そういう自分の行いに対する贖罪のつもりだったのではないか…。そう思います。
だから、怒ってばかりの子を見ると「何に対して勝とうとしてるんやろ?」とか「全勝しようと思ってるんちゃうか?」と心配になります。そして「頑張らなあかん環境で生きてきたんやな」と思うと切ない気持ちになって「そんなに頑張らんでええねんで」と伝えてあげたくもなったものでした。

と、ここまで偉そうに書いてきましたが、僕は今も感情のコントロールは苦手です。特に、家族には甘えが出ます。それでも、若い頃と比べると、少しはましになったかなとも思うので、これからも自分の感情とうまく付き合うことを考えていきたいと思います。怒りエネルギーをポジティブ方向に活用して、自分も周りの人たちも幸せな気持ちになれるよう努めていきたいと思います(^^♪

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保護者対応 #187

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2学期が始まっておよそ1か月半が経過し、2022年度も後期に入りました。これから年度末にかけて徐々に増えてくるのが保護者からの要望。そこで、今日のテーマは「保護者対応」。
一読に要する時間は約5分30秒(僕計測)。よろしくお願いします(^^♪

保護者対応のポイント

僕が、教諭時代・管理職時代を通じて一貫して後輩教員に伝えてきたポイントは以下の3つです。

「シンプル思考」「保護者理解」「スピード対応」

保護者からの要望と一口に言っても、内容も方向性も様々です。批判や謝罪・改善要求ばかりではなく、「今年は良かったので、来年も引き続き…」なんて希望を伝えに来られる場合もあります。後者の場合、回答に苦慮するのは管理職くらいで、一般教職員にはほぼ無関係です。

でも、残念ながら保護者対応の多くは前者。保護者個人の立場や考え方・価値観のもと、学校・教職員の業務、子どもどうしのトラブル、果ては学校業務外の要望・要求まで持ってこられる場合があります。
このような保護者対応は感情労働であり、学校教職員にとって最もしんどい業務の1つです。授業研究などは苦労の中にも楽しさや充実感がありますが、保護者対応は疲弊するばかり…。本当に大変です。

ただ、世の中の風潮を見る限り、保護者対応がなくなるとは思えません。ですから、教職員は保護者対応力も身につける必要があるのです。

シンプル思考

保護者から激しく叱責されたり厳しい要求を突き付けられたりすることは気持ちの良いことではありません。ましてや、誤解・思い違い・考え方の相違などがあった場合には、説明も訂正も反論もしたくなりますし、それが必要な場合もあります。ですが、行動に移す前にするべきことがあります。

まずは、シンプルなゴール設定を行うことです。いろんな思いとは別に、最終的にどうなりたいのかを問うことから始めてほしいと思います。シンプルに思考し“目指すゴール”と“避けるべき最悪の結末”を設定する。行動するのはそれからです。

たとえば、「学校の考え(正当性)を伝えること」をゴールにした場合は、説明・訂正・反論などの具体的な行動を起こすことになります。ただ、それで保護者が納得するかどうかはわかりませんし、場合によっては大きなトラブルになってしまうかもしれません。また、納得させたとしても、保護者の心にどのような感情が残るかはわかりません。
なので、僕はこのゴールをお勧めしませんが、実際にはこのパターンを選ぶ教職員が多いように思います。

一方で「子どものプラス」をゴールとして設定する教職員もいます。僕のお勧めはこちら。保護者は勝ち負けを争う相手ではなく、子どものために協働すべき仲間です。保護者を言い負かすよりも良好な関係づくりを進めること。その結果、逆に学校の考えを理解してもらえた…なんてこともよくあります。

保護者理解

保護者理解のためのポイントは「感情のコントロール」と「傾聴」です。

まずは「感情のコントロール」から。
教職員が手にする保護者からの連絡帳や手紙の中には、激しい表現、過度の要求が見られることがあります。感情が高ぶりすぎて、文脈がおかしくなっていることだってあります。
そうなると、受け取った教職員も感情的になってしまいますが、まずはアンガーマネジメント!怒りの感情は一旦解放すると増幅しやすくなるので、この段階では爆発させないように心がけてほしいと思います。

次に大切なのが「傾聴」です。
保護者の主訴は何かをきちんと把握することが必要です。ここでもシンプル思考が役に立ちます。
保護者は一番「何」を求めているのか。それは「具体的な何か」か、あるいは「わかってほしいという思い」なのか。また、それは「今起きていることなのか」、それとも「過去の話」なのか。また抱えているのは「まったく別の問題」なのかなど…。
時には保護者自身も問題の本質に気づいていないこともありますので、まずは傾聴。とにかく保護者目線の情報をたくさん集めることが大切です。自分の考えを伝えるのではなく、相手を理解しようと努めることで、保護者の気持ちはずいぶん安定します。

スピード対応

要望によってはすぐに解決できないことがたくさんあります。
だからといって、何もしないで放っておくことはNG。まずは、改善・対応に向けて保護者と一緒により良い対応策を考え、素早く行動に移してみることです。というのも、実は保護者も「すぐに改善できる」とは思っていないことが多いのです。

だからこそ、まずは小さな一歩でいいのでスピード対応!そうすることで保護者は「わが子を大切にしてくれている」「真剣に向き合ってくれている」と感じてくれます。そうしてつくられる信頼関係は、困難な課題解決には不可欠です。敵対せずに協働できる関係づくりに努めることが、結果的に教職員のストレス軽減にもつながります。

教育活動の振り返り

ところで、年度後半に要望・要求が増えてくるのには理由があります。
突然大きなトラブルや事故が起きたから…という場合もありますが、多くの場合は「この時期まで前向きに考えたり、我慢したりしていた保護者がついに諦め動き出した」と考える方が適切です。ですから、保護者対応をする前に、自分あるいは学校の教育実践について考えてみることが必要です。

担任あるいは担当教員として、年度当初から子ども一人ひとりの個性・特性を理解しようと努めながら、丁寧に学級経営・授業づくりを行ってきた成果は、子どもたちの姿にあらわれます。
今なおトラブルが起きることがあったとしても、そんなことは問題ではありません。
学習内容の習得、生き生きとした表情、前向きな言動、他者と協働する姿など、子どもの成長を感じる場面はたくさんあります。個人としての成長と集団としての高まり。これこそが、教育活動の成果なのです。そんな教職員であるならば、保護者対応もすでに適切に行っていることでしょう。

一方で、これらの成果がまったく見られない場合もあります。もちろん、原因はいろいろ考えられます。しかし、この時期まで来て、未だにうまくいかない理由を子どものせいにしているようでは大問題。これでは保護者対応も上手くいかないだろうなと思います。

改善策は「自分自身を見直すこと」。
まずは自分の仕事のあり方。頑張ったかどうかではなく「間違っていなかったか」「足りなくなかったか」を考えてみることがとても大切です。
意外なことに、“仕事ができる人”ほど、この振り返りを行います。言い換えれば、この振り返りができるから仕事ができるのです。お勧めです。

補足

ここまで、保護者は協働する仲間という前提で書いてきました。しかし、現実には常識的な範囲を大きく逸脱している保護者も出てきています。このような場合には、教職員個人・学校単体での対応は困難かつ不必要です。スクールロイヤーの導入など教委レベルでの施策が必要だと思っていることを補足します。

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成果の検証(運動会) #185

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昨日は、統計的に見ると晴天が多い「スポーツの日」でしたが、あいにくの雨となったところが多かったようですね。大阪・北摂も雨。寒さを感じる一日でした。
僕の町では今月末に「6年生連合運動会」が開催されますが、全国的には秋季運動会も終わった頃かなと思います。そこで、今日のテーマは「成果の検証(運動会)」。
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成果検証の目的

学校行事は遊びではありません。児童にとっては明確な目標をもってとりくむ学習活動であり、教職員にとっては業務です。たとえわずか1時間のとりくみでも学習活動・業務である以上、そこにはねらいがあるはずです。まして、多くの時間をかけた運動会。しっかりとした成果検証が必要です。

4月から半年が経過し、運動会という大きな行事を終えた今がそのタイミング。年度当初に立てた学校・学年・学級等の目標がどこまで達成できたかを確認するのにちょうど良い時期だと言えます。

ただ、成果検証というとダメ出しや勤務評定的イメージでとらえられるかもしれませんが、そうではありません。半年間、児童・教職員・保護者などみんなで力を合わせて頑張ってきたことは間違いないこと。運動会も同じです。練習期間を通してみんなで頑張ってきたことまで否定する必要はありません。

では、何のために検証するのか。
過去を振り返るのはすべて未来のためです。歩んできた半年を振り返ることにより、これからの半年をよりよいものにすることが目的です。運動会の振り返りは、より効果的なとりくみを創造することを目的として実施します。

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成果検証の方法

『目標・検証方法の確認』
まず「ねらい・期待した成果」「成果の検証軸」「成果の検証方法」の確認をしましょう。
「何のために運動会にとりくんだのか」「運動会の成果はどのような形であらわれることを期待したのか」などを改めて確認することが大切です。

『検証材料の収集』
設定した検証軸・方法に沿って具体的なデータを集めましょう。数値がわかりやすいですが、児童のようすや教職員・保護者の声などもデータとしては有効です。
ただし、個人情報を収集する場合には収集時に十分な配慮が必要です。

『検証その1』
「何が」「どのようなやり方が」成果に結びついたのか(あるいはその逆)」を分析しましょう。
感覚的・感情的な分析ではなく、集まったデータをもとに客観的な視点で丁寧に分析することが大切です。また、成果にむすびついた要因を分析する際は、多様な視点から分析することが望ましいです。できるだけ多くの意見を集めた上で、ランキングをつけるなどし、成果に結びついた要因を見つけましょう。

『検証その2』
「成果の大小」と「コスパ」の2視点からとりくみを分析しましょう。
必要なことには労力・時間を惜しまずにとりくむべきという考え方。僕は、教育の世界では“あり”だと思っています。そのために他の業務を効率化・分業化するべきだと考えています。
でも!コスパを完全無視するわけにはいきません。そういう視点もやっぱり重要なのです。
ぜひ、「成果の大小」をx軸に「コスパ」をy軸にしてみるなど、データ結果を分析・見える化することをお勧めします。

余談ですが、検証1・2を行ったら、個人の感覚的な分析と比較してみましょう。いろんな気づきがあると思います。

『ブラッシュアップ』
「分析結果の見える化」「内部での情報共有」「成果要因の発見」「今後の方針決定」「外部への情報発信」などを進めましょう。
ただし、次年度運動会の“具体的方法”を決める必要はありません。それは時にマイナスにもなります。大切なことは“形”ではなく、“考え方や視点”です。1年後の社会情勢はわかりませんので、どんな状況でも大切にできる“フィロソフィー”を共有していくことが重要です。

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もう1つの成果検証

成果検証の際の留意点が1つあります。
それは分析対象が「学校全体」か「児童個人」かという点です。もちろん学校は個人の集合体ですから、両者が無関係に独立しているわけではありません。
しかし、学校全体のデータ分析結果はあくまでもアベレージ。残念ながら、中には成果があがっていない個人もいるはずです。

ですから、全体検証が終わったら、ぜひ学年・学級を中心に個人レベルでの成果検証もしてください。
全体のアベレージ確保と個人の育成の両立は難しいかもしれませんが、そういう視点を持つこと自体に意味があるのです。全体をとらえる広い視野と個人に寄り添う温かい心の両方を、自分の中に育てることが教職員力の向上につながります。
日本型学校教育と時代のニーズであるインクルーシブ教育とくれば、UDや合理的配慮は外せません。できる・できないではなく、常にそういう視点を持ち続けることが大切だと僕は思います。

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検証結果の使い方

『成果要因の活用』
運動会の成果検証を通じて得られた“成果要因”は運動会だけのものではありません。日常の学習活動や他の行事にどんどん活用し、個々の児童や学校を成長させましょう。

『成果検証力の向上』
何のために、どのように成果検証を行うかなど、組織としての成果検証力が向上します。特に、分析視点に応じて思考ツールをセレクトすることで、検証目的を意識した分析が可能になります。形式的な“運動会の反省”から脱却しましょう。

『個人の力量向上』
ビジョンづくりのための成果検証は楽しく意味のある活動です。繰り返し経験することで、組織・個人ともに習慣化されていくことでしょう。それは、子どもたちも同様です。
課題設定力・課題解決力・情報収集力・情報分析力・思考力など、様々な力が個人の中に育まれるのではないでしょうか。

2022年度も残り半年になりました。これからも各学校で楽しく効果のあるとりくみが進められることを願っています。そのためにも、まずは教職員の方々の健康が大事!何と言っても教職員は学校の命です!
2学期開始から1カ月半。そろそろお疲れが出る頃かと思います。どうぞみなさんご自愛ください(^^)/

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教育

見通して学ぶ #175

みなさん こんにちは!
『Rockin’ Teacher 餃子大王 JUN’s club』へようこそ!
餃子大王・ベーシストのじゅんちゃんです(^^♪

本日、Mちゃんは運動会のため出勤。朝7時に家を出たので、僕もその時間からウォーキングに出発。およそ6500歩、5km、消費カロリー600kcalの道のりを歩いてきました。
ウォーキングタイムは僕にとってのシンキングタイム。バンドのことを考えたり、ブログのことを考えたり…。どの時間よりもいろんなことをゆっくりと考えることができる大切な時間です。ひとりウォーキングの良さですね。

そして思いついた今日のテーマは「見通して学ぶ」。
一読に要する時間は約5分(僕計測)。よろしくお願いします(^^♪

ウォーキングコース

何度か歩いているうちに「スタンダードコース」ができました。ゴールは自宅から最も近いパワースポット・大門寺さん。往復わずか5kmほどのコースですから50分ほどで歩いてしまいます。ただ、僕のコースには平坦なところがほとんどありません。

往路の約1.4kmはアップ・アップ・ダウン・ダウン・ダウンって感じ。
そして復路約3.6kmはフラット・アップ・アップ・アップ・アップ・アップ・フラットって感じ!
主に、急勾配な南北道路を歩いて戻ってくるのですが、最後の数100mが特にきつい!ようやく自宅に向かう平坦な東西道路に入る頃にはずいぶん心拍数も上がっています。

そこから自宅まではわずか150mほど。でも、これではクールダウン不十分なので、あえて距離を伸ばしてゆっくり歩いています。冬のマラソンタイムの時に先生が「すぐに止まったらあかんよ!ゆっくり歩いて呼吸を整える~!」と叫んでいたあれです。
こうして僕のスタンダードコースができ上りました。

気づいた変化

長くウォーキングをしていなかった僕。わずか50分とはいえ、想像以上のアップダウンに当初はとても戸惑いました。最初のアップ部分だけでも「まだ続くん?すでに無理やん!」という状態。復路に至ってはもうボロボロ。途中で休憩を入れながら、何とか帰宅した記憶があります。

もちろん、帰宅後は“めっちゃ疲れた”状態。何て表現したらいいのでしょう?プールや海で泳いだ後のような感じ?元教員的に言えば、終日水泳指導やプール管理を行った後の感じ。
その上、足はがくがく。上り坂も大変だけど、慣れない身体に負荷がかかるのはむしろ下り坂かも?両足のすねの部分が痛すぎて、正座ができないほどでした。「わずか1時間でこんなにボロボロになれるんや!」と思ったほどでした。

それが今は!アップダウンだらけの道にもかなりアジャスト♪ウォーキング後の疲れ方も“ぐったり”から“心地よい疲れ”に変化。真夏の暑さや真冬の寒さは未体験ですが、当面は楽しく続けることができそうです。

疲れの原因

今朝は歩きながら「この変化がどうして起きたのか」を考えていました。もちろん、複数の理由が考えられるのですが、その中で僕がベストアンサーに選んだのは「見通し」でした。

初日はルートを探すことから始めました。いつだったかチラッと見たことがある地図を頭に浮かべながら自宅を出発。「こっちかな?」なんて気楽に歩き始めたのですが、すぐに「あれっ!こんなにしんどいの?」となってしまいました。
見慣れた自宅周辺の道なのに、いきなり始まった上り坂がいつ終わるのかわからない!“体感”としてとらえられていなかったのです。「そう言えば、車でしか通ったことがない!」と気づくのに時間はかかりませんでした。

その上り坂を息を切らしながら上り切ったあとは、不安な気持ちでルート探し。結局、この日は全然違う場所に行ってしまいました。「ダイエット27日目#157」に書いた通りです。
翌日は父にルートを教えてもらい再チャレンジ。今のルートを見つけたのですが、その日も「この道で合ってるのかな?」と不安な気持ちで歩いていました。

ウォーキングを始めた頃、今よりもっと「体力的な課題」があったことは事実です。でも、それ以上に心身を疲弊させたものは「ゴールやルートがわからない不安」だったのではないかと僕は思います。

見通すということ

今、学校でも「単元を見通して学ぶ」ことが大切にされています。教員だけがゴールやプロセスを知っているのではなく、子どもたち自身が「自らの学びのゴールとプロセスを見通す」ことが重要なのです。これは「受動的な学びから能動的な学びへ」と学びのスタイルを変化させることであり、やがて「探究的な学び」へと発展していきます。

学びと育ちの主体者である子ども自身が、自らの疑問や興味・関心に基づきアクティブに探究する姿。そして、自らの強みを発揮しながら、仲間と協働的に気づきを共有し新たな知を創造していく姿。考えただけでワクワクします。

毎日同じコースを歩くだけのウォーキングでさえ、ゴールとプロセスを見通しながら歩くことで心身への負荷は大きく軽減されます。その結果、心身は伸び伸びと活動し、最大のパフォーマンスを発揮することができるようになるのです。

特に僕のように心配性なタイプはそう。力を発揮するには不安の除去が近道です。これは、発達障害を始めとする様々な特性を持っている子どもたちも同様です。もともと苦手なこともありますが、持てる力を十分に発揮できていない場面を見るたびに残念な気持ちになるのはそのためです。
子どもたちが予めゴールとプロセスを見通すことで、心身への負荷を低減し、一人ひとりが持っている力を十分に発揮できるといいなと思います。

追記

楽に歩くことができるようになったことで起きた変化がもう1つ。これまで見ていなかったものが見えるようになりました。見えているだけで気づいていなかったものに気づけるようにもなりました。
心身のゆとりが視野を広げてくれたのだと思います。

子どもたちには、自らの学びと育ちのために、いろいろなものごとに目を向け、気づいて欲しいと願います。身近な自然にも、いろんな人の思いにも、世の中のことにも。そして、もちろん自分のことにも。
基礎的な体力が必要なように、知識・技能も必要ですが、それは目的ではなく結果として獲得すべきです。

おとなの仕事は、子どもたちが安心して学び育つことができるように学びの環境を整えること。その環境の中で、子どもたちには安心して学び、視野を広げ、たくさんの力を身につけていってほしいと思います。
今朝はウォーキングをしながら、そんなことを考えていました。

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教育

現場主義と業務改革 #164

みなさん こんにちは!
『Rockin’ Teacher 餃子大王 JUN’s club』へようこそ!
餃子大王・ベーシストのじゅんちゃんです(^^♪

大阪・北摂は台風が去り、晴れ間が戻ってきました。でも、まだ時折強い風が吹いているし、空を見上げると分厚い雲に覆われているところも…。昨夜は全国各地の被害の様子を知るたびに心が痛くなりました。権限と権力をはき違えて悪いことばかりする人たちが贅沢な暮らしをしているのに、まじめに真剣に生きてきた人がどうしてつらい思いをしなければならないのか…。失われた命は返ってきませんが、せめてしっかりとした救済措置をとってほしいと思います。

さて、今日のテーマは「現場主義と業務改革」。2日間の休日明けは教育カテゴリーの話からです。
一読に要する時間は約5分(僕計測)。よろしくお願いします(^^♪

今朝の空。レッスンルームからの撮影です。

働き方改革

「地域部活動#160」で少し書きましたが、「働き方改革」は社会の仕組みそのものを変える取組だと考えています。戦後の高度経済成長期を支えた「1日8時間労働」「週休1~2日」「終身雇用制」など。特に、バブル期に見られた「企業戦士的働き方」はすでに過去の遺物となっています。僕も職場で「もう終身雇用の時代じゃないからね」なんて話をよくしていました。

厚生労働省は「働き方改革」を「少子高齢化に伴う生産年齢人口の減少」「働く方のニーズの多様化」などの課題に対応するため「個々の事情に応じた多様な働き方を選択できる社会を実現し、働く方一人ひとりがより良い将来の展望を持てるようにする」改革としています。みなさんはこの言葉をどう解釈されますか?

社会の構成員である僕たち。諸課題に対する理解を深め、より良い社会実現のために協力し合わなければならないのは当然です。しかし、社会のために個人が犠牲になって良いかというと、それは間違いです。21世紀における「良い社会」とは「一人ひとりが自己実現できる社会」ではないでしょうか。
そのために行政や経済界等が中心になって取り組むべきミッションもありますが、それだけでは不十分。現場ごとに行うべき「業務改革」があると僕は考えます。

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学校現場

前例踏襲が多い学校現場ですが、学校ごとの歴史や文化、伝統的な取組をすべて否定しているわけではありません。100年以上もの間、脈々と受け継がれている地域・学校文化に出合い、感銘を受けたことだって何度もあります。継承すべきものは継承して正解です。

ただ、気をつけなければならない点があります。それは、形式だけを継承しないこと。文化とは現象面だけを指す言葉ではなく、その背景にある歴史やフィロソフィーをも含む言葉です。そして、むしろ大切なのは歴史・フィロソフィーの方。形式美の代表ともいえる「伝統芸能」の世界でさえ、一つひとつの所作には意味があります。だから、すべての形式は歴史に基づくものであり、フィロソフィーを実現するための手段・方法だと僕は思っています。

僕が学校現場に対して批判的に「前例踏襲」「形骸化」と書く理由はまさにこの点です。おそらく、取組が始まった頃には「意図」があったはず。しかし、それがいつの間にか継続・実践することが目的となり、PDCAを回すこともKPT法で見直すこともなく、ただただ続けている。このあたりのことは学校GDなどの話を通じて何度も書いてきました。
残念ながら学校現場にはこのような「前例踏襲」「形骸化」が今なお多く残っています。

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現場主義

このようなことが起きてしまう最大の原因はどこにあるのでしょう。僕は、成果の検証が苦手な学校現場の特性にあると考えています。「子どもたちの学びと成長を促す教育の成果は簡単に評価できるものではない」とする考え方は、管理的で短期的な成果主義に陥りがちな教育行政から教職員を守ることにはつながっています。しかし、この言葉は「狭義の学力観に基づく点数主義に陥ることなく、人間教育・人格形成を大切にしたい」と願う教職員の品格の表れであって、成果の検証を放棄するものではありません。

長年、学校現場で働いてきた経験から言うと、取組時に掲げた目的・目標の成果を検証する学校にはほとんど出合いませんでした。運動会を始めとする諸行事も、研究授業を中心とする校内研究もそうです。学校GDなどは、その最たるものかもしれません。

僕が現場主義を勧める理由。「〇〇は現場で起きているんだ!」とか「現場を知らない学者のくせに!」などと言って、教育委員会や研究団体、大学等を締め出そうとしているのではありません。むしろ逆です。
僕は、学校現場が成果を検証し、しっかりとしたエビデンスを持つことを現場主義と呼んでいます。そのために、外部から成果検証の視点や方法を学ぶことが学校には求められているのです。

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業務改革

「どこの誰に教わったのかな」と思うような教育論を熱く語る教職員に多く出会いました。もちろん、それ自体は素敵なことです。ただ、理屈は言うけど実践的指導力はイマイチ…というケースもありました。情熱と口は素晴らしいけど「成果が上がってへんねんけど?」というケースです。

でも、立派な口に負けてしまうからか、きちんとしたエビデンスも無いまま効果の低い(ない)取組をいつまでも続けている学校があります。成果検証をすればすぐにわかるはずですが、残念ながらいつも検証は不十分。なので、何となくそれっぽいことを言われると「成果が上がる良い取組だ」と勘違いしてしまうのでしょう。まさに時間&労力の無駄づかい。業務改悪?民間企業であるのかなぁ、こんなこと?

と考えると、やはり重要なのはPDCA。成果検証、特に数値化は難しい課題ですが、まずは後出しジャンケンにならないように、事前に検証軸をしっかりと持つことが大切です。「校内組織(検証)#58」で書いたと思いますが、ゴールとなる子どもたちの姿を具体的にイメージすることができれば大きくずれることはありません。自信をもって取組を評価してください。

このようなPDCAを回すことなく、継続目的で小さな改善を加えることに意味はありません。まずは、成果検証がポイント!そして、成果が低い場合には、大きな枠組から見直したり、時にはやめたりする勇気を持ってください。確かに、教育の成果は見えにくく判断しづらいですが、質の高い業務に集中していくために、これらの作業はマストです。それが最後には業務の効率化にもつながるのです。

行政が責任をもって進めるべき「働き方改革」ではありますが、それだけでは何も進みません。大切なのは、現場の教職員が「業務改善」レベルではなく、常に「業務改革」まで視野に入れておくことです。
継承と発展をキーワードに、エビデンスに基づいたクリエイティブな取組が展開され、学校全体の業務改善・業務改革・働き方改革が進むことを期待しています。

最後までお付き合いくださり、ありがとうございました!
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